中学を卒業すると石ちゃんは家業のラーメン屋を手伝うことになり、イナ君は茨城の高校に、自分は埼玉の高校に進学することになった。
春になったらすぐにバンド活動をしようと言っていたにも関わらず、3人集まって演奏をすることはなく、それぞれの新しい生活がばたばたと慌しくスタートすることになった。
自分の家は商売をやっていたので、お客さんが遅く来た時なんかは石ちゃんの家から出前を頼むことにしていた。それまでは石ちゃんのお母さんが来てくれていたのだが、この春からは石ちゃんが代わりに出前をするようになった。自分の母親なんかは「石ちゃんは立派だ、お前も石ちゃんを見習って家の手伝いをしろ。」そんな話しをよくしていたと思う。
出前に来てくれた石ちゃんは、立ち話をする時間もとらず、とても忙しそうにしていてバンドの話しもお互いに出来ずじまいだった。
夏休みに入った頃いつものように石ちゃんの家に出前を頼むと、その日は普段の見慣れた自転車ではなく、新品のスーパーカブに乗って出前にやってきた。石ちゃんは、なんとなく誇らしげに、16歳になったのでバイクの免許を取り、店のバイクも新調したんだと話してくれた。そしてもうひとつ、今度家を出て近くのアパートに一人暮らしをすることになったので、イナ君と一緒に遊びに来いよという誘いの話しをしてくれた。やんちゃな風体とは別に、まだあどけなさが残る石ちゃんだったが、それはそれで頼もしく、大人ぽっく感じたんだと記憶している。
早速イナ君に連絡を取り、夏休みの時期ということもあって、石ちゃんの仕事が休みの日に2人で遊びに行くことにした。イナ君とは学校の帰りに行き会う程度だったので、じっくり会うのは久しぶりだった。ましてや石ちゃんと3人揃って会うのは中学3年生の秋以来である。
石ちゃんの新しい住まいは、実家から少し行った所の木造アパートの2階にあった。真夏の暑い盛りに1台の扇風機にあたりながら、中学の時とはまた違う、ちょっとだけ背伸びをした感じが心地良かった。
イナ君は陸上部に入りながら、高校の先輩のバンドにサイドギターで加入したと話していた。秋にはドラムの先輩が引退するのでイナ君が後任のドラムに決まっているとのこと。とりあえず中学の時のドラマーになる宣言に則って着々と計画が進行中であるということを強調していた。
自分の場合は、高校に入るとすぐに軽音楽部に入り、クラブの部長にベースを弾きたいと話していた。とはいえ入学早々バンドでベースが弾けるわけでもなく、同級生達と一緒に先輩のバンドの練習を見学したりしていた。練習場所は放送部と兼用の防音室で、そこに学校の備品のアンプやドラム、マイク等を持ち込んで練習するといった具合だった。新入生はあくまで先輩のお手伝いがメインで、秋の学園祭までにバンドが作れたら演奏できるということであった。学園祭で演奏するバンドもまだ無く、部室で先輩のベースをちょっと弾かせてもらう程度だったんだと思う。
石ちゃんはといえば、中学の時よりもギターの腕を上げていてレッド・ツェペリンの天国への階段やジェフ・ベックのレッド・ブーツなんかを我々2人に披露してくれた。自分もイナ君も高校の先輩に引けを取らない石ちゃんのギターに興奮を隠せなかった。
当然のことながら、中学からの約束であった3人でバンドをやる話しにもなり、イナ君がドラムを本格的に練習できるようになる秋過ぎから一緒に演ろうということになった。中学3年の時の気持ちが戻ってきた、そんな夏の暑い日の出来事だった。
2010年09月13日
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映画スタンドバイミーを見終わった時と同じ切ない気持ちになりました。
俺は中学の学園祭、友達と三人ギターで弾語りやりました。
俺も高校進学せず就職したのでなんかシンクロしました。