2011年05月29日

アンの家セッション

昨日は毎月恒例になっている。西白井にある「アンの家」でのブルースセッションに参加しました。
雨の中沢山の人達が集まりました。
セッション後も音楽談義と思いきや、人生談義となり午前2時にようやく解散でした。
今日は辛い一日になりそうです!
スタッフの鈴木君は新しい奏法を編み出して、メチャうけてました!

5/29セッション
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2011年05月28日

ジャカランダの苗木

ジャカランダの苗木頂きました。
店内で育てて行こうと思いますが、どうなる事やら15鉢のうち4つしか発芽しなかったなかの2鉢いただきました。



ジャカランダ
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2011年05月27日

開店から1ヶ月

工房を富里に移転して一ヶ月がたちました。
一ヶ月前に成田の居酒屋さんで開店祝いをしていただいた時の写真です。
幼稚園からの同級生、高校で同じバンドだったメンバー、社会人になってから一緒にやったバンドのメンバー、仕事を教えて頂いた師匠、同業の友達、清志郎のお葬式で知り合った友達、リペア教室の生徒さんやセッションで知り合った方々などなど、
これからも音楽を通じて沢山の人達と出会える事を楽しみにしています。


開店記念
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2011年05月20日

白石弦楽器工房 続編

インタビューです。
興味が有る方は、6月にご本人に色々聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=AOVqvPLK_B4&feature=related
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2011年05月10日

白石弦楽器工房

6/5から3日間白石弦楽器工房さんが作ったミニチュアを展示、販売いたします。
製作者の白石氏も終日店内に居ますので、ご興味が有る方は是非ご来店下さい。
そのミニチュアがテレビで、バイオリニストに演奏された時の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=gi5vcAabvt0&feature=channel_video_title
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2011年04月19日

店舗の進行状況5

リペア業務は完全に移転いたしました。
お店の準備はまだ終わっていませんが、既に営業ははじめています。
時々職人さんが工事にやってきますが、お客さんも来ていただいています。
まだ、看板が出来ていませんので、お近くまで来ましたらご連絡下さい。
店舗5/18店舗5/19
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2011年04月16日

店舗の進行状況4

店舗は今日も作業スペースのレイアウトに問題があって少し変えてみました。明日も作業して確認する予定です。
作業台がガラスと平行の位置に置いていたので、摺り合わせをする時にまぶしく作業しづらかったので、変更しました。
それと、お店の雰囲気を作るために最初に購入したソファーが今日届きました。床や壁紙もこのソファーに合わせて選んだので、やっとしっくり来ました。
明日は音楽仲間が何人か遊びに来るそうです。
今日も閉店間際に友達が遊びに来てくれて、音楽談義になり遅い閉店になりました。
来週からは商品の準備もリペアの合間にやっていこうと思います。
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2011年04月13日

店舗の進行状況3

店舗が着々と進んでいます。
IMG_0642.jpg
店舗5/8-2

看板は現在制作中ですが、来週の開店には間に合いそうもないです。
看板製作中

店舗5/13
店舗5/13-2
店舗の中は8割くらいは進みました。
作業スペースを明日からやる予定です。
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2011年04月08日

店舗の進行状況2

いよいよ、着工です。
各部屋のスペースがきまりました。


店舗4/5店舗4/5-2
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2011年03月31日

店舗の進行状況1

店舗の改装工事が始まります。
まだまだ、準備に時間が掛かりそうですが、工事の進み具合を書いてみようと思います。
まずは、元の状態です。
大工さんが作業をしやすいように、幾つかの部屋に分けていただきますが、地震の影響もあり部材の入手が困難になっているそうです。
入手しやすい材料を使っての作業をしてくれる事になりました。
沢山の友人、知人に助けられながら店舗が出来ていくと思います。
その記録にと思いブログに写真に載せて行きたいと思います。


店舗3/28-1店舗3/28-2
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2011年03月24日

工房移転のお知らせ!

4月中旬から工房を富里市七栄に移転することになりました。
店内改装工事を行いますので、まだオープンは未定ですが4月中旬にはオープン出来る予定です。
同時にオリジナル楽器、中古楽器の販売業務も行う予定です。
詳しい予定が決まり次第お知らせいたします。
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2010年11月02日

KT & The Spam Jevelin

自身でやっているBOMBASTIC MEATBATSのカバーバンドのKT & The Spam JavelinがMEATBATSのCD販売サイトに紹介されています。
その部分を紹介します。

Only two albums into their career, the Meatbats are already leaving their mark on musicians around the world, as Kollman recently witnessed the proof. “There's already a Meatbat tribute band in Japan! They kindly mentioned to us that they were starting one...I haven't had a chance to check them out yet, but I think there's a female 'Wrench' in there. They asked me for a name...in an instant moment of inspiration, it came to me - King Tamas & the Spam Javelin. 'King Tamas,' as Chad has been referred to, is a bit crude and offensive when translated in Japanese, so the band abbreviated it to become, 'KT & the Spam Javelin'!”

これからも、音楽や楽器を通じて交流して行きたいと思います。

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2010年09月13日

ベースを始めた中学生の秋 その5

中学を卒業すると石ちゃんは家業のラーメン屋を手伝うことになり、イナ君は茨城の高校に、自分は埼玉の高校に進学することになった。
春になったらすぐにバンド活動をしようと言っていたにも関わらず、3人集まって演奏をすることはなく、それぞれの新しい生活がばたばたと慌しくスタートすることになった。

自分の家は商売をやっていたので、お客さんが遅く来た時なんかは石ちゃんの家から出前を頼むことにしていた。それまでは石ちゃんのお母さんが来てくれていたのだが、この春からは石ちゃんが代わりに出前をするようになった。自分の母親なんかは「石ちゃんは立派だ、お前も石ちゃんを見習って家の手伝いをしろ。」そんな話しをよくしていたと思う。
出前に来てくれた石ちゃんは、立ち話をする時間もとらず、とても忙しそうにしていてバンドの話しもお互いに出来ずじまいだった。

夏休みに入った頃いつものように石ちゃんの家に出前を頼むと、その日は普段の見慣れた自転車ではなく、新品のスーパーカブに乗って出前にやってきた。石ちゃんは、なんとなく誇らしげに、16歳になったのでバイクの免許を取り、店のバイクも新調したんだと話してくれた。そしてもうひとつ、今度家を出て近くのアパートに一人暮らしをすることになったので、イナ君と一緒に遊びに来いよという誘いの話しをしてくれた。やんちゃな風体とは別に、まだあどけなさが残る石ちゃんだったが、それはそれで頼もしく、大人ぽっく感じたんだと記憶している。

早速イナ君に連絡を取り、夏休みの時期ということもあって、石ちゃんの仕事が休みの日に2人で遊びに行くことにした。イナ君とは学校の帰りに行き会う程度だったので、じっくり会うのは久しぶりだった。ましてや石ちゃんと3人揃って会うのは中学3年生の秋以来である。
石ちゃんの新しい住まいは、実家から少し行った所の木造アパートの2階にあった。真夏の暑い盛りに1台の扇風機にあたりながら、中学の時とはまた違う、ちょっとだけ背伸びをした感じが心地良かった。

イナ君は陸上部に入りながら、高校の先輩のバンドにサイドギターで加入したと話していた。秋にはドラムの先輩が引退するのでイナ君が後任のドラムに決まっているとのこと。とりあえず中学の時のドラマーになる宣言に則って着々と計画が進行中であるということを強調していた。

自分の場合は、高校に入るとすぐに軽音楽部に入り、クラブの部長にベースを弾きたいと話していた。とはいえ入学早々バンドでベースが弾けるわけでもなく、同級生達と一緒に先輩のバンドの練習を見学したりしていた。練習場所は放送部と兼用の防音室で、そこに学校の備品のアンプやドラム、マイク等を持ち込んで練習するといった具合だった。新入生はあくまで先輩のお手伝いがメインで、秋の学園祭までにバンドが作れたら演奏できるということであった。学園祭で演奏するバンドもまだ無く、部室で先輩のベースをちょっと弾かせてもらう程度だったんだと思う。

石ちゃんはといえば、中学の時よりもギターの腕を上げていてレッド・ツェペリンの天国への階段やジェフ・ベックのレッド・ブーツなんかを我々2人に披露してくれた。自分もイナ君も高校の先輩に引けを取らない石ちゃんのギターに興奮を隠せなかった。
当然のことながら、中学からの約束であった3人でバンドをやる話しにもなり、イナ君がドラムを本格的に練習できるようになる秋過ぎから一緒に演ろうということになった。中学3年の時の気持ちが戻ってきた、そんな夏の暑い日の出来事だった。
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2010年09月06日

ベースを始めた中学生の秋 その4

学年主任をぶっ飛ばすだとか勝手に文化祭で演奏するなど過激な発言をしていた石ちゃんであったが、自分やイナ君の腑抜けた気分が伝染したようで、少しずつ落ち着きを取り戻していった。そして、自分達3人がヒーローになる予定だった中学3年の文化祭は何事も無く終了した。

それから数日経った頃、イナ君が松戸の駅ビルのレコード店に音楽スタジオがあることを聞きつけてきた。そして、早速見に行こうということになった。
電車に揺られること10分、駅ビルの最上階にあるレコード店に足早に向かう。店の中に入ると、壁一面に張り巡らされたジェフ・ベックの新譜「ゼア・アンド・バック」のポスター、そしてショーケースに飾られた本物のフェンダーのストラトとジャズベース(!)、何もかもが興奮の対象だった。
そして店の奥に行くと、ガラス張りの防音スタジオがあり、そこではギター・ベース・ドラムのトリオバンドが練習をしていた。初めて見るロックバンドの演奏に我々は釘付けになってしまった。あまりにも真剣に見ていたんだろう、ガラス越しに練習中のバンドのメンバーが手を振ってくれた。自分達も全力で手を振り返した。バンドの音も彼らが自分達に向かって話しかける声も聴こえることはなかったが、気持ちだけは通じることが出来た、そんな瞬間だったと思う。大興奮の帰り道、イナ君が高校に行ったらドラムをやると話し始めた。自分はもちろんベース、石ちゃんは言うまでもなくギターで決まりだと。そして、その日は我々3人のバンド宣言の日となった。

一方、学校では進路相談の時期となり、なんとなくあわただしい雰囲気につつまれてきた。高校受験は面倒で嫌だったが、終われば念願のバンド活動が出来るわけで、とにかく春になるのが待ち遠しくてしかたなかった。イナ君はドラムのスティックを学校に持ってきて机なんかを叩いていた。石ちゃんはと言えば、どういう訳だか、浮かない表情を浮かべることが多くなってきた。ついでにいえば服装も乱れてくるようになってきた。

11月も中旬になるとスポーツ推薦で高校が決まる生徒もボツボツ出始めてくるようになった。一般の生徒もどこの高校を受験するかどうかくらいは決めるようになってきた頃でもある。自分とイナ君はそれぞれ違う高校を受験することになった。
そんな中、石ちゃんが進学しないという話しが聞こえてきた。自分とイナ君にとっては寝耳に水の話しで本当にビックリした憶えがある。石ちゃんの名誉の為にも書くが、高校に上がる学力が無いわけではなく、家庭の都合で進学を諦めるといった理由も全くなかった。普通に受験すれば学力相応の高校に入学できる実力は間違いなく持っていた。
すぐにイナ君と石ちゃんのところに行って話しを聞いてみた。石ちゃんの答えは、受験はするけど高校行くのはあまり気が進まない。だけどバンドは絶対やろうぜ、そんな内容だったと思う。そして何となく安心した気持ちになったんだと思う。

12月の期末試験の頃になると学校のムードも受験前特有のピリピリした感じになってきた。受験する生徒にとっては、内申書に関わる大事な試験だったので、なんとなく余裕のない、ちょっと焦ったような、そんな雰囲気であった。
自分もイナ君も同じような感じで、バンドのことや好きな音楽の話しもほとんどしなくなっていたと思う。そのころ石ちゃんは就職組の生徒と一緒にいることが多くなってきて、自分達とも少し距離を置くようになってきた。
いつも期末試験が終われば、石ちゃんの家でギターを好きなだけ弾いて、ラーメンと餃子を御馳走になるんだけれども、その年に限っては自分もイナ君も真っ直ぐ家に帰り、石ちゃんと一緒に遊ぶことは無かった。

年が明け3学期になり学校に行くと、石ちゃんの風体はすっかり変わってしまっていた。髪形もきつめのパーマをかけ、剃りも入り、いわゆる不良そのものになっていた。暴走族の先輩なんかにも誘われるようになっていた。とはいえ話してみればいつもの石ちゃんで、早く春になったらバンドやろうぜ!といった具合である(笑)。
そうこうしているうちに、私立高校の受験も始まったりと、あわただしい日々が過ぎて行き、それと並行するように落ち着いた時間も少しずつ戻ってくるようになってきた。自分は埼玉の私立高校へ、イナ君は茨城の私立高校に行くことが決まった。結局、石ちゃんは高校に進学することはなかった。担任から公立高校の試験だけは受けろと無理やり会場に連れて行かされたのだが、答案用紙を白紙で提出するという荒業をやってのけ帰ってきた(苦笑)。

それから卒業式まではあっという間だった。卒業式の当日、石ちゃんは先輩から借りてきた刺繍の入った裾の長い学ランを着てきて我々を驚かせた。イナ君の学ランは胸のボタンがほとんど無くなっていて、何事も無かったように涼しい顔をしていた。自分の学ランといえば、卒業式だからと母親がアイロン掛けをしてくれた全くもってきれいそのままな状態だった(笑)。
式が終わってから校門のところで3人で会うことになった。石ちゃんは不良仲間達と一緒だった。イナ君も自分もそれぞれ同じのクラスの連中と一緒にいたと思う。
その時どんな話しをしたかは覚えていない。バンドの話しもしなかったのかもしれない。
あれほど卒業したらバンドをやろうぜと言っていたにも関わらず、その約束をしないままの卒業式となった。


次回が最後の話しになります。週明けになるかなー(^^;
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2010年09月05日

ベースを始めた中学生の秋 その3

石ちゃんとイナ君、そして自分の3人が楽器を持って学校に行くことになった訳だが、その話しをする前に我々の通っていた中学校について書いてみたい。

昭和50年代の公立中学校というのは、高度成長期のベビーブーム世代が学校に上がっていた時代で、全国的に中学校の数が足りず1クラス50人学年10クラス以上は珍しくないそんな状況だった。また落ちこぼれだとか暴走族や校内暴力だとかが社会問題になっていた時期でもある。金八先生の腐ったミカンなんかはちょうど自分が中3の時だった。
今思えばマスコミが無責任に面白おかしくとりあげてたものだから、我々ガキ供も調子にのって一緒に騒いでいたんだと思う。

多分に洩れず我々3人が通っていた中学校も同じような状況だった。新興住宅地で巨大団地を抱えていたため3学年合わせて2千人の生徒数。我々の学年も15クラスあった。それだけ生徒がいれば個性的な奴も多く警察のご厄介になる連中もけっこういた。
先生たちも若くて個性的だった。プラスチックのオモチャのバットを持って言うこと聞かない生徒にはケツバットをしたり職員室で放課後1時間正座とか当たり前。学生運動上がりの先生も多くメーデーの日には半分くらいの先生が休んだり、日教組の大会でテレビに映るようなツワモノもいた。今のご時世では考えられないが、先生も生徒もある意味やりたい放題で、そんな学校生活をみんなそれぞれ楽しんでいたんだと思う(苦笑

さて本題。
学校までハードケースを担いで持っていったんだと思うんだが、何故かここの記憶が完全に欠落している。約1キロの通学路をえっちらおっちら歩いて持っていき教室まで運んだと思うのだけれども思い出せない(汗
覚えているのは昼休みと放課後に3人揃って楽器を弾いていたこと。それぞれの担任の先生が見に来たり、同級生の前で自慢げに弾いて見せたりしていたんだと思う。特に自分のエレキベースは相当に珍しかったようでクラスの女の子に貸してあげた記憶がある。ここの記憶だけは相当に鮮明なので多分自分が好きだった子だったんじゃないかな(笑
あとよく覚えているのが、石ちゃんが生音のエレキじゃ物足りなくなってイナ君のフォークギターを借りイーグルスのホテルカリフォルニアを弾いて先生達を驚かせたこと。そしてイナ君がツイストの「燃えろいい女」をビシッと決めて女の子達からキャーキャー言われていたこと。もてる男は何をやっても絵になるというなんとも羨ましいパターン。自分と石ちゃんも一緒に演奏したんだけどフォークギターの音量とイナ君の人気には全くかなわなかった(苦笑

そんなことをしながら楽しい時間は過ぎ、その日はそのまま帰ることになった。文化祭で演奏できるかどうかは職員会議で決めると言われたんだと思う。そういう先生達の反応も悪くなく、我々3人は文化祭のヒーローになった気分で盛り上がっていたんだと思う。ベースのことは親に内緒のはずだったのに全くいい気なものである。

そして次の日学校へ行くと、担任の先生から文化祭での演奏は認めないとの話しをうける。エレキだけでなくフォークギターを弾くのも駄目とのこと。学年主任の一存で決定となった。
自分もイナ君もがっかりで力が抜けきっていたんだけれど、石ちゃんだけは納まりがつかず学年主任をぶっ飛ばすと言っていた。結局3人揃って職員室に呼ばれ、今回は残念だけど我慢して卒業して高校に上がってからおもいっきりバンドをやればよいと諭されたと思う。

がっかりしながら家に帰ると、もうすでに学校から連絡があり親父とお袋から猛烈な勢いで説教させられることになった。親に内緒で友達から楽器を買い、一言も相談もせずに文化祭で演奏するとは何事だと。まぁ当たり前の話しである。そして問題のベースだが金はいいから返してこいということになった。これに関してはベースを売ってくれた奴の母親には絶対内緒という条件だったので相当に抵抗したんだと思う。そいつの家が複雑な家庭環境だったということは自分の両親もなんとなく知っていたようで事なきを得た。ただし、その交換条件として高校受験が終わるまでベースを弾くのは禁止、ついでにギターも禁止ということになった。高校受かったら好きなだけ弾いていいからということで、グレコのリッケンバッカーベースとレスポールは鍵を掛けられ親父の預かりとなった。

次の日学校に行くとイナ君も自分と似たような状況だった。ギターこそ取り上げられなかったけれど受験が終わるまで大人しくしていろと両親に言われたようだ。
石ちゃんといえば、全く納まりがつかず学年主任をぶっ飛ばすだとか、勝手に文化祭で演奏してしまえばいいんだとか過激な発言を繰り返していた。何故石ちゃんがそこまでこだわっていたのかは理由があった。

その辺りの話はまた次回。自分が一番書きたい内容でもあるので(^^;
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2010年09月04日

ベースを始めた中学生の秋 その2

ひょんなことから手に入れることが出来たエレキベースを自転車に乗せて自宅に帰ったはいいが、ハードケースが大きくどうやって部屋の中に運ぶかが問題となった。なにせ売ってくれた奴のお母さんには絶対内緒の約束。当然のことながら自分の母親にも内緒にしておかなければならない。
とりあえず庭先に隠し何事も無かったように家に入り、家族が寝静まった頃を見計らってこっそりと自分の部屋にベースを運び込んだ。
そして大きな長方形のハードケースの鍵を開け感動の対面となった。

真っ黒なボディに白のピックガードのグレコのリッケンバッカーベースは、長く太いネックに4本の太い弦とそれを結ぶ大きなマシンヘッドがついていて、トラストロッドが2本だったりジャックも2つついていたりとエレキギターの風貌とは全く違う存在感にただただ圧倒されてしまった。
そして手に取ってみるとネックの長さとヘッドの重さで楽器を上手く支えきれない。チューニングも初めての低音楽器で勝手がわからずメロメロの状態でこっそりと弾いてみたと思う(苦笑)。
アンプを通さない生音は、ちょっとつまったようなしょぼくて期待はずれの低い音だったと記憶している。よくあるボンボンという表現があてはまるあの音。それでも嬉しくて弾いては眺め、弾いては眺めを繰り返して、ベースをケースに戻しベッドの下に隠し、ちょっとだけ大人びた気分で布団に入ったんだと思う。

次の日、学校で石ちゃんとイナ君に報告。学校から帰ってからラーメン屋の石ちゃんの家に集合ということになった。
ベースのことは親には内緒と言っておきながら、馬鹿でかい黒のハードケースを持って中学生の小僧がヨタヨタ歩いているわけで、今考えると相当目立ってたはず(汗)。 おまけに石ちゃんの家に行くまでには親のいる店の前を通っていくわけだからバレバレだったんだろうな。。

そんなこんなで石ちゃんの家に着いてみんなで練習することに。リッケンベースを見せただけでみんな大興奮。早速石ちゃんの家に置きっぱなしにしてあったローランドのキューブ40にシールドを差してピックで弦を弾いてみた。図太い低音がラーメン屋の奥の部屋中に響きわたる。石ちゃんもイナ君もはじけまくって、俺にも弾かせろ、俺にも弾かせろということになった。夕方までそんな感じで1台のアンプにギターとベースを2本つないで3人で遊んでいたんだんだと思う。
自分の中で日本で1番エレキギターの上手い中学生と思ってた石ちゃん。そしてフォークギターと歌が上手で、ついでに足も速く女の子にも人気のあるイナ君。そんな2人にほんの少しだけ優越感に浸ることが出来た日だったんじゃないかと思う。

そんな中、我々3人が文化祭でエレキを弾くというのが学校で問題になりつつあった。
イナ君の担任の先生は大丈夫だよと言っていたので気にも留めていなかったが(ちなみに自分とイナ君と石ちゃんとは別々のクラスだった)、どうも他の先生から如何なものかと言うクレームが入ったようである。
というのも、1年前の文化祭で我々の1つ上の先輩がエレキギターを弾いて一部の保護者から文句がでたということがあった。そのこと自体は結果オーライと言うことになったんだけれども、2年続けてエレキは如何なものかとというそんな内容だったと思う。ついでに言えば自分達もその先輩に影響されて文化祭にでると言っていたと思う。
そういった理由で、我々3人がそれぞれの担任に呼びだしをくらい、どんな演奏をするのか、どんな楽器を使うのかということになった。そして、とりあえず学校に自分達の楽器持ってきて見せてみろということになってしまった。

石ちゃんは白黒のベックモデルのストラト、イナ君はヤマハのフォークギター、自分は黒のリッケンベースを学校に持っていくことになった。

それでは長くなったのでまた次回(^^;
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2010年09月03日

ベースを始めた中学3年生の秋

前回に書いた「初めての楽器と初めてのバンド!」シリーズですが、
元々友人の日記を読んだのがきっかけでした。
今回はその友人の日記をそのまま貼り付けます。
やはり何話かに分けて書いていますので、そのまま何話かにわけてアップいたします。
タイトルもそのまま使わせていただきました。





15才の時にベースを弾き始めたので、もう30年になるのですなー
なんでベースを始めたかというと、これがよくある他のやつらが上手くてのパターンw

中2の時に幼馴染み3人でよくギター弾いて遊んでた。
一番上手かったのがラーメン屋の息子の石ちゃん。石ちゃんは小学校の時からお店の常連さんからエレキギター教えてもらったりしてて中2の時にベンチャーズのパイプラインが弾けた。
もう一人がイナ君。イナ君はフォークギターが得意で3フィンガーが出来たり、歌も上手でオリジナルなんかも作ってたりしてて、ついでに足も速くて運動会のリレーでも最終アンカーでゴボウ抜きで1番になったりとかで、まあ女の子によくもてた。

家が近所だったこともあり、よく3人で学校帰ってきてからラーメン屋の石ちゃんの家でギター弾いて遊んでた。自分も姉のフォークギターじゃ満足出来なくて中2の正月にお年玉貯めてグレコのレスポールとローランドのアンプのセット買った。石ちゃんもグレコのジェフベックモデルの白黒ストラト買ってテケテケ弾いてた。イナ君はヤマハのフォークギターだったかな?お兄ちゃんのお下がりで結構良いの使ってた。

中学3年に上がった頃、石ちゃんの家でビデオを買った。当時としては衝撃的な出来事で、ちょうどその頃流行っていた高中正義のライブを石ちゃんが録画してみんなで観ることになった。すごくかっこよくて高中が世界で一番上手いギタリストだと思った。そしたら石ちゃんがブルーラグーンとレディ・トゥ・フライのテーマをコピーしてしまった。夏休みの頃にはソロパートまでコピーしてしまいとても驚いたことを覚えている。
イナ君はコード弾きが得意だったので、石ちゃんのバッキングしたりとてもかっこ良かった。自分は2人にいろいろと教えてもらうのだが、なかなか思うように弾けなかった。石ちゃんがベースラインをコピーして、自分はエレキギターの低い音でベースの真似事してみたりすることもあった。これはこれで結構楽しかったと思う。

2学期になって3人で文化祭に出ようということになった。イナ君が担任の先生に話したら大丈夫だよとのこと。
演奏する曲は、高中の曲とイナ君が得意にしてた長渕剛の巡恋歌、そしてツイストの「燃えろいい女」の3曲。とても嬉しくていろいろな所で話していたのだと思う。そんなある日、近所に私立中学に通ってる同い年の奴がいて、そいつが自分に「エレキべース買わない?」と持ちかけてきた。
そいつはものすごく大人びてて将来医者になるって話してるような奴だった。ベースは叔父さんが買ってくれたんだけど弾かなくなったからと話していた。条件は5千円でそいつのお母さんに絶対に内緒のこと。お母さんのいない日に渡すからと言われた。
すぐに貯金下ろしてベースを受け取りに行くことになった。夜の9時過ぎくらいに来てくれと言われて、真っ暗な中、こっそりと道端で渡された記憶がある。そいつはそれから1年位してから引っ越していなくなってしまった。
あとで知っことだけれども、そいつの家は複雑な家庭環境で、そのベースもそいつにとってはいらないものだったようである。
ベースは黒のグレコのリッケンバッカーベース。ハードケースに入っててすごく重かった。自転車に乗せて押しながら家までドキドキしながら帰った覚えがある。

そしてベースとの対面と文化祭の話しになりますが、長くなったのでまた今度(^^;
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2010年09月02日

初めての楽器と初めてのバンド!其の6

高校に行く前に受験の時に成績がかなりやばく親が知り合いを通じてだと思ったが、大学生の家庭教師をつけてくれた。この方も大の音楽好きでビートルズは初期の方がかっこいいよとか、自分は後期のが好きだったんだけど、黒人音楽が大好きでレイチャールズや、BBキングなど50年代のブルースやリズムアンドブルースのレコードをカセットテープに録音してくれた。
高校に合格した時にコースターズってドゥアップグループのレコードをプレゼントしてくれたんだけど、このレコードが格好良くって20代後半まで、このレコードは頻繁に聴いていた。
 
高校に入ると中学とは比べものにならない広範囲から生徒が来ていて、ギターを弾く奴も沢山いたし、良かったのが、いわゆる不良グループと楽器をやるグループは同じ扱いじゃなかった。
ここで、悪い奴らとの付き合いがなくなったので、音楽に集中出来るようになって行ったのはラッキーだった。
まぁ、中学でも高校でもバイクを乗ったり煙草を吸ったりとやってることは変わらなかったんで、その辺の興味はもう無かったってのが本音かもしれませんが。
とにかくギターを弾いてる連中が自然に集まって来て音楽談義が始まった訳だけど。バンクロックやハードロックが好きな奴らが沢山いて、T-REXを聞いた時はちょっとした衝撃もあり、ここでまた新しい音楽と出会っていった。
パンクロックをやってる人が多く直ぐに何バンドかが学校内で出来たが、自分は古いロックをやりたかったんで、なかなかメンバーが見つからずにいた。結局はハードロックが好きな奴と同じ中学でフォークをやってた奴と3人でバンドをやることになったんだけど、
ドラムがなかなか見つからなかった。
みんなはグレコやフェルナンデスのギターを持ってて、1つ上の先輩に中古楽器だったら安く買えるし店員さんに言えばそこから更に値引きしてくれると聞いて。新しい楽器を買うためにバイトを始めたんだけど、時給500円以下のラーメン屋さんで新しいベースとアンプを買うのには半年くらいバイトしたと思う。
高校2年になって、グレコのバイオリンベースとグヤトーンの50Wのベースアンプを手に入れてやっとバンドが出来る環境になった。
他のメンバーもギターなどをグレードアップしていったが、肝心のドラムが見つからないままだったが、1学年下でドラムが上手い奴が居ると聞き、一緒にやってみることになった。
ここで、生まれて初めてバンドを結成出来た。今考えるとよくある高校生バンドだったが、自分にとっては、念願のバンド結成だった。
曲は、キャロルやルースターズ、ロケッツなどのロックンロールを中心とした曲でやった。
このバンドの最初のライブは高校2年の時の文化祭で、キャロルの曲の途中で先輩に乱入されて歌われてしまった。
そこそこ盛り上がったと思うけど、あんまり覚えてはいない。その後に成田文化会館でアマチュアバンドのイベントがあって、あの中学の先輩のバンドを初めて見た会場でやることになった。
文化祭は校内なので、こっちが初ライブのようなものだ!他のバンドは全く知らないし、当時他のバンドの音がとてもお洒落に聞こえた。(1985年くらいの事です。)それに比べると自分たちのバンドはちょっと鈍臭さはあったと思う。
きっちりした機材で初めて音をだして、訳のわからないままライブは終わったが、何とも言えない感じはあった。反省点も学んだことも沢山あったが、「こんな楽しいことやめられないな!」っていう事を思ったのは良く覚えてるし、その時の気持ちが今に繋がってるんだなと思います。
高校卒業まで、このバンドは続きましたが、ドラムが学校を辞めてしまって、ブラバンの人に叩いてもらったり、最後までドラムには苦労したバンドだったけど、沢山のライブをやった!
しかし、高校生の時に一緒にやってた友達はみんな楽器を辞めてしまって、後から同じ気持ちじゃなかったんだなと思い寂しい感じですね。別のバンドだった人も楽器をやってる人はごくわずかのようですし。
ただ、この一緒のバンドでギターを弾いてた友達が今年の初めくらいからギターを復活!時々セッションでも一緒に音出したり出来るのは不思議な気持ちと嬉しいのと、、、
やっぱり音楽って良いな!と、再確認しました。

こんなかんじで音楽に興味を持ち、楽器を持ち、そしてバンドを結成しました。
最後までまとまりのない文ですみませんでした。
今度機会があったら、オランダに住んでいた頃の話とか、ギターリペアマンになろうと思った時の話とか書けたら良いなと思っていますが、かなり体力の使う作業だと解ったので、実現出来るかわかりませんが、今回はここまでに致します。
読んでくれた方々ありがとうございました。
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2010年08月30日

初めての楽器と初めてのバンド!其の5

次の日から早速練習を開始しようと思ったんですけど、その前に大問題が発覚!
アンプが無いんです。楽器を手に入れようという事ばかりに気をとられて気づかなかったんですが、
ベースってアンプがないととても悲しい事にまったく音程感もなにもないんです。
なので、教則本に書いてあるチューニングですら出来ない。
とにかくこれはなんとかせねば!確かシールドは楽器に付属されてたと思うんですが、とにかく有ったんです。
アンプを買えるはずも無く、でもこのままでは家では弾けないのでと考え付いたのが、ラジカセのマイク端子。
これって何とか使えないかな?と思い変換プラグを買ってきてそこに刺してみたものの全く音がしない。
やっぱり無理かと抜こうをしたときに奇跡的に一瞬音がした。
あれ?って思っていじってると、あるポイントになると音が出る事を発見したんです。
今考えると、ステレオのフォンジャックにモノラルジャックを刺しているんで、そうなる事は当たり前なんですが、中学生の頃はそんな事も解らなかったんですね!
この事を今付き合ってる友達に話すと似たような事をみんなしていたみたいです。
ラジカセでベースを鳴らしているんで、音は割れまくってるし良い音がするわけもなく何かが違うななんて思いながらも、音が出るだけでめちゃめちゃ嬉しかったのを覚えています。
家にあった3台のラジカセは全部ベースの練習でスピーカーからまともな音がしなくなったのと、マイク端子がグラグラで最後は差しても音が出なくなってしまった。

バンドをやろうって言った友達のもう一人も、どんな方法で手に入れたのかは覚えてないが、とにかくベース、ギターとドラムの3人が揃った、もう一人はギターを手に入れられずボーカルって事になった。
この時、まだ誰も演奏出来る状態ではなく、とにかくキャロルの「ルイジアンナ」と「ファンキー モンキー ベイビー」の2曲をやろうって事になったんです。
そしてキャロルのラストライブの楽譜を手に入れたんですが。
まったく譜面が読めずに、教則本に書いてあった、譜面の読み方欄を見ながら、おたまじゃくしにドレミを書き込んでそれを見ながら、何処を押さえるのかを一音ずつ探していった。たぶんシャープとかフラットの記号も解らなかったので、自分なりにここ変だなとか思って修正していったんだとおもう。
コードも解らなかったんで、全部丸暗記で何ヶ月もかけて少しずつ覚えていったが、やはり限界があった。
中学2年の時に、卒業したあの上手いバンドの人達が教えてくれるって事になったんですが、条件はそのバンドの練習場所を確保する事だった。
当時成田に練習スタジオは存在しなかったし、自分たちもドラムをと一緒に音を出したことも無かったので、どんな所で練習するかなんて検討も付かなかったが、友達が公民館だったら借りられるって聞いてきて、その事を先輩に伝えると練習の合間に教えてくれるって事になった。
先輩の家から公民館までかなりの距離があったがリアカーを使って機材を運んだ。
先輩のバンドはアンプの他にモニタースピーカーや、ボーカルアンプ、エコーマシーンなど、かなりの機材を持ってて、凄い思いをして機材は運んだわけだけど。
いざ、練習が始まると教えてくれる気配が全くないまま、何時間か過ぎて行って本当に最後の30分くらいで
「ルイジアンナ」って曲を教えてくれた。
「この指を使ってこういう風に押さえるんだよ!」って見た目はかなり怖い人なのに、教えてくれた時はめちゃめちゃ優しかったのを覚えてる。
譜面の見方も短い時間だったけど教えてくれて、教則本に書いてあった謎がかなり解明出来た。
その場で弾けるようになった訳じゃないけど、とにかく練習の方法は解った。
しかも、このベースのパターンでチャックベリーの曲は殆ど弾けると!横浜銀縄はこのパターンしか使ってないよ!とか、試しにやってもらったが確かにあのフレーズだ!
この日から、毎日ベースフレーズの練習をすると割と簡単に”それっぽく”だけど弾けるようになっていった。
この日に教えてもらった3人の中でドラムの友達の上達か一番凄かった。ギターの奴はしばらくして練習を断念して。ギターを辞めた。
中学3年生の文化祭はドラムの奴だけがブラバンと一緒に演奏したのを覚えている。
で、この3人で演奏することは無かった。
あの先輩達のように文化祭でライブをやりたかったんだけど、ライブどころかバンドすら出来ないまま、中学を卒業したわけなんですが、、、、
一緒にバンドをやろうって言ってた仲間はみんな、別の学校に行ったり、そのまま働いた奴もいたり、、、、
自分の中学から同じ高校に進んだのは、女子は沢山いたが男子4人だけだった。つまり全く知り合いが居ない所に行ったような物なんですが。
そこで、また、色々な人や事に出会って行くんです。
次回はそんな事を書こうと思います。で、初ライブまでで今回の区切りにしたいと思います。
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2010年08月28日

初めての楽器と初めてのバンド!其の4

前回の最後にもう一人音楽の影響を与えてくれた人がいますと書いたんですが、その人は叔父なんです。
母親の弟で仕事は専業農家で自分の家から300m 位離れている所に祖母と住んでいるんですが、この叔父が大のオーディオマニアで、自分で真空管アンプを設計して製作してしまうんです。
フリージャズが大好きで小さい頃、叔父の部屋でオムツをしたまま踊ってる自分の写真を沢山見た事があるので、日常的にジャズを耳にしていたんだと思います。
今でも、お盆や正月には音楽談義に花を咲かせています。
自分は中学からこの叔父の作ったアンプにレコードプレーヤーとカセットデッキを繋いで音楽を聴いていました。当時はパイオニアのコンボに憧れて、「良いなー」なんて思ってました。
真空管は中域が太くてとても良い音で今は大好きなんですが、当時は見た目も格好良くてドンシャリなコンポの音が格好良く聞こえてたんですね!
今はあの真空管の音が自分の基準の音になってるんだなって思います。なので携帯の音が苦手なんです。
その叔父が言った衝撃の言葉があって自分が30才位になった時の話なんですが、「最近は面白い音楽やってる人がいないね〜前の方がかっこいい音楽が沢山あったのに!」って言ったら。
「それはお前が歳を取っただけだよ、新しい文化は若い奴が作って行くものだ、それが理解出来ないのはもう歳だって証拠だな!」って言われてショックだったのを覚えてる。
本編とは関係ない話なんですけど、そういった人達に影響受けながら音楽や楽器に接して行ったんです。その頃はジャズなんて全く理解出来る音楽じゃなかったんですが、その叔父の部屋で聞いたコントラバスの音にはグッと来る物はあったんですけどね!

ベースを買って家に帰り道ですけど、もう親に何を言われるかが不安で夜には楽器屋さんから電話が掛かって来たらすべてがバレてしまうんですけど、言わないで電話があった方が余計話がややこしくなるだろうし、とにかく帰ったら親に話そうって、、、
その後どういういきさつだったか覚えてないけど、多分「それ、どうしたんだ。」みたいな事を帰った途端に言われて、
「実はローンで買ってきた。」みたいな会話があったと思います。
で、楽器屋さんから電話があって親の確認が終わって、ここでめでたく自分のベースになった訳なんですが、親に「どうやってローン払うんだ!」って言われたんで、「月に2千円だったら、お小遣いから払えるから大丈夫だよ!」って言ったんです。
そしたら、「そんなに欲しかったなら、ちゃんと言えばもっと良いの買ってあげたのに!」って言われて楽器屋さんにローンじゃなくて残金を振り込みますって、、、結局親がこのベース買ってくれたんだ。
自分で払いたいって気持ちと、買ってくれて嬉しかった気持ちと、悪いなって気持ちと色々あったけど、とにかく弾けるようにならないとこれは格好悪いぞ!ってその時は本当に思ったね!
多分親にしてみれば、どうせそのうち飽きるだろう、って思ったんじゃないかな?
とにかくその日の夜はチャックベリーを何回も何回も聞いて、ベースをソフトケースから出したりしまったりを何回も何回も繰り返してたんです。


ここから、ベースとの格闘が始まる訳なんですが、それは次回の話にします。
posted by kaz at 02:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記